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満光寺 (伊那市)[まんこうじ]
満光寺(まんこうじ)は、長野県伊那市高遠町西高遠にある浄土宗系単立の寺院である。 == 歴史 == 天正元年(1573年)、浄土宗の岌往上人(ぎゅうおうじょうにん)によって開創された。度重なる火災で諸記録が焼失したため、元禄以前は住職の名前すら不明である。『赤羽記』には天正10年3月2日、保科正直の妻・柏心妙貞が織田信忠の高遠攻城の際、仁科盛信(五郎)と共に城中にあり奮戦の末に戦死し、放置されていた遺体が満光寺住僧の牛王和尚によって同寺に運ばれ、懇に火葬に附したと記されている。一時、浄土寺と改称されたが、享保17年(1732年)より満光寺に復した〔信州高遠藩史の研究 北原通男著書刊行会 1984年6月20日 p115 〕。 元禄以後、高遠城主・内藤氏の菩提寺となり、元文4年(1739年)に再建した本堂は十二間四面、山門の鐘楼ともに科の木を用い、善光寺になぞらえて建てたので「伊那善光寺」・「信州の科寺」とも呼ばれ、京都総本山知恩院の直末、録所として触頭式を与えられた宗門を支配し、多数の末寺を有した〔高遠風土記 ほおずき書籍株式会社 2004年10月1日 p74〕。 江戸時代中期に再建された伽藍の大きさ・立派さは善光寺と肩を並べるほどで、伊那一番の伽藍であったとされている〔信州休日の社寺巡り 信州毎日新聞社 2002年8月8日 p98 ISBN4-7840-9928-X 〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「満光寺 (伊那市)」の詳細全文を読む
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